丹波流・灘流

【English】
Tanba school; Nada school

酒造りには多くの流派が存在し、近畿地方に限っても約10派を数えるが、地方では丹波流が主流をなしていた。江戸時代初期(1600~1650年頃)に書かれた日本で代表的な醸造技術書である『童蒙酒造記』の酒諸流の中に根源は奈良流とあり、次いで鴻池流、伊丹流の名を記している。

伊丹流のはじめは伊丹周辺の天津、山本等の農村の人々で、元禄(1688-1704年)後期より享保(1716-1735年)にかけて丹波出身の杜氏となり、伊丹、丹波流が生まれた。灘発展の化政期(1804-1829年)に入り、灘目の杜氏は当初菟原・生瀬・播州杜氏であったが、文化(1804-1818年)頃より丹波が入り、菟原・播州杜氏と交流して、江戸末期には丹波が主力となって、灘丹波流を確立した。

諸流派の差異は酒母の育成方法において顕著に現れる。丹波流は宮水のように硬水仕込に使用する地方に適した方法で、生酛の製造工程において半切桶を使用する工程の期間が短く、育成に場所をとることが少ないので他流よりも工業的であり、灘の酒造には好適であった。